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2019.06.25 ブログ 

京都の魔界案内① 六道珍皇寺

こんにちわ!

吉本の芸人さんたちがえらいことになりましたねー・・・
真実はわかりませんが嘘はダメですよね。
その場しのぎで色々な人に迷惑かけますし、信頼は一度無くせば構築は難しいですもんね。
なるべく誠実に生きていこうと思いました!w

今日からはちょっと怖い逸話の残っている所をご紹介させて頂きます。
第一弾は「六道珍皇寺」さんです。

「六道」とは、仏教の教義でいう地獄道(じごく)・餓鬼道(がき)・畜生道(ちくしょう)・修羅(阿修羅)道(しゅら)・人道(人間)・天道の六種の冥界をいい、人は因果応報により、死後はこの六道を輪廻転生するという。
この六道の分岐点で、いわゆるこの世とあの世の境(接点)の辻が、古来より当寺の境内あたりであるといわれ、冥界への入口とも信じられてきた。
仏教のお話ですね。
なぜこのように言われていたかとゆうと、当時の平安京ではこの辺りで「野辺の送り」、いわいる死体の埋葬をしていたからです。
さらには当時の官僚であった小野篁がなぜか閻魔王宮の役人ともいわれ、昼は朝廷に出仕し、夜は閻魔庁につとめていたという奇怪な伝説がある。
その際の地獄へ行く通路が当寺の本堂裏庭にある井戸で冥府への入り口と言われているからです。

また、昔話ではありますがある夜のこと、髪を長く垂らし、肩を落とした一人の女が飴を買いに来た。 主人が茶碗にもった水飴を渡すと、女は三文をおいて立ち去っていった。 明くる日、主人が銭箱を見ると、昨晩の女からもらった三文が木の葉三枚に変わっていたという。
その夜、昨晩の女が再び現れ、やはり水飴を買っていった。こういう日が五日も六日も続いた為、あとをつけると、女は京の都の墓場へと姿を消した。 その事を寺の和尚に聞かせると、10日程前に若い女を葬ったという。 その墓を確かめに行くと、若い女の死骸の上で水飴をなめながら泣いている赤ん坊がいた。
この女は赤ん坊のために夜毎水飴を買いに出掛けていたのだという。 その後、飴屋は「幽霊飴」と呼ばれ大繁盛したのだとか。
ちなみに飴は今でも売っていますよ!

いろいろなお話がありますがそんな逸話が多いからこそお盆時期には「六道まいり」といい先祖をお迎えして供養する行事で
大変賑わっております。

ぜひ行ってみて下さいね🎶